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マイノリティーや引きこもり・人見知りは社会人として本当に不適格なの?

NewsPicks の WEEKLY OCHIAI という番組がめっちゃ面白いのでよく見てます。パネラーたちの壮大な脳みそワールドを駆使して、もう言葉がボロボロに崩壊しながらも進んでいく議論がたまりませんw

 

この回では、特に日本においての多数派と少数派の関係に焦点が当たっていたみたいです。

 

マイノリティーはどうして肩身が狭いのか?

 

少数派ってマイノリティーとも言われますけど、社会不適合者みたいな差別的な表現もされたりします。サラリーマンにならずにフリーランスや個人事業で生活する人もそのグループに収められることもあるみたいです。音楽家とて、同じこと。

 

学校のクラスで、ちょっと変わった性格の子供っていましたよね。大人になって考えると全然普通だった子なのに、なぜか子供のグループではその「普通と違うセンス」が目立って、いじめられてしまう事があります。

 

人間は、見た目は似ていても、考え方や価値観はものすごく違っているということは、大人になって厳しい恋愛を経験したり、起業して騙されたりとかすれば嫌でも理解するんだと思います。でも子供ってまだその辺がわからない。まあ大人でもわかってない人は多いです。

 

でもね、個性なんですよ。どんな生き物も違っていて当然。私も社会では普通に振る舞いますが、頭の中は個性的です。他人に理解してもらう自信はありません。

 

いじめられる?

 

今回の NewsPicks では、全体の1割の人間が人類を救っているという解釈が述べられています。その1割はアーリーアダプターと言って、多くの人がまだ受け入れない新しい商品やサービスを体験してフィードバックをするのが好きな人たちに近く、そしてそのアーリーアダプターはだいたい2年くらいでその他の人たちが合流してくるので、そのタイミングでいなくなるんだそうで。

 

そういう1割の変わった人たちに対する社会の反応は2つあります。

 

  • いじめる(無視されるも含む)
  • 尊敬される(社会をリードする)

 

はい、こういうことです。よく貧富の差とか格差社会とか言われますが、その富裕層とされる1割もここにいると考えるとわかりやすい。

 

 

マイノリティーならば、堂々としなさい

 

社会というグループで生きていく限り、常識は踏まえて活動する必要があるのは当然ですが、その反面、クリエイティブな活動をすれば良いわけです。

 

クリエイティブって、他人の評価を気にせず、自分の価値観に正直になる事。萎縮してはいけません。

 

でもそうすると、頭の中で「何が正しいの?どの方向で進めれば良いの?」と迷いだすものです。自分だけの世界なのだから、正解や不正解という概念がないのですから。

 

でもそこでめげてはいけません。他人の批判圧に押されていじめられるのがオチです。

 

そうではなく、アウトプットすれば良い。恥を承知で継続的に、粘り強く発信し続けていく事が重要だと思います。歴史的に見ても、これこそがアーティストの姿ですよね。

 

マイノリティーこそが社会を目覚めさせ、進化させる

 

法律を犯していけません。しかし、社会のシステムの歯車になると世の中は進化しなくなります。どうにかして、「無謀」とも取られる考えや行動を起こし、それこそが社会に問題を提起します。アートとは、そういう存在。個性に従って唯一のものなので、とても価値が高いものでもあるという事です(売れれば・・・ね)。

 

それが売れるかどうか、つまり社会の多くの人を説得しきれるかどうかは、その説得力や発信力に依存します。

 

 

 

完全にナルシストになって作品を作り、それを他人が認める事で、お金をもらう事に繋がると・・・そういう事なんですね。

 

 

IT Engineer, Track Producer, Video Game Remix, Ad PV BGM.

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